京都の「わらじ医者よろず診療所」早川一光(はやかわかずてる)さんがNHK・ハートネットTVに登場。

がんを患い、「こんなはずじゃなかった」とのことですが、講演会やビデオ、CD、DVDの他、現在もKBS京都ラジオ「ばんざい人間」で元気な声を多くのリスナーに届けています。

その早川一光さんの経歴や妻や子供など、wikiプロフィールについて興味があったので調べてみました。

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早川一光さんのプロフィール

名前:早川一光(はやかわ・かずてる)
出身地:満州国・奉天(現・中国遼寧省瀋陽市)
生年月日:1924年1月3日
学歴:京都府立医科大学卒業

早川一光さんは1923年12月26日に旧満州国・奉天に生まれます。父親は満鉄病院に勤める小児科医でした。

早川一光さんの両親が、生まれてわずか数日で息子の数え年が2歳になるのを嫌って、翌1924年1月3日に出生届を提出したため、この日が戸籍上の誕生日になっています。

早川一光さんが4歳のときに家族は愛知県知多郡横須賀町(現東海市)に戻り、そこで幼少期を過ごすことになります。

そして、父親と同じ医者を目指して京都府立医科大学に入学し、在学中から学生自治会の設立に関わり、学生運動に参加するなど、学内の民主化運動に積極的に関わっていました。

そして1948年に卒業し、卒業後は望月成人教授の第1外科に入局します。

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大学からの追放、その後

順風満帆にエリートコースを歩んでいるかに見えましたが、早川一光さんの左翼・民主化運動が問題視されて、1949年に京都府立医科大学から辞職に追いやられます。

後には、堀川病院の院長となる竹澤徳敬教授なども対象者のリストに名を連ねていました。

その後、1950年に住民たちの出資により京都市上京区西陣に白峰診療所を開設します。

1955年に幸恵さんと結婚、1957年には第一子の長女を、1959年には次女をもうけます。

白峰診療所は1958年に堀川病院に発展し、早川一光さんは副院長に就任。以後、院長・理事長を歴任し、1984年に理事長を退任後も1999年まで顧問を務めます。

その後も、住民のための地域医療に専念し、在宅医療の普及に尽力します。

1997年から2003年にかけて京都府美山町の美山診療所で農村における地域医療に携わり、同診療所の公設民営化への働きかけを経て、所長に就任します。

早川一光さんは、これらの地道な活動から「わらじ医者」と呼ばれるようになりました。

1999年に堀川病院顧問を辞任した後も、2002年に京都衣笠に「わらじ医者 よろず診療所」を開設し、医療相談を行います。

これら地域医療に医師として携わるかたわら、「わらじ医者 京日記 ボケを看つめて」を著し、毎日出版文化賞を受賞し、NHKでドラマ化(「とおりゃんせ」)されたり、1995年から2013年にかけて滋賀県立医科大学で医学概論を講義したりなど、人間を医学・宗教など様々な角度から見つめる「総合人間学」を提唱し、普及する活動も盛んに続けています。

著書多数、また1987年から現在まで続く長寿番組、KBS京都ラジオ「早川一光のばんざい人間」のパーソナリティとしても知られています。

早川一光さんの病気と子供については次のページで!