けん玉演歌歌手として紅白歌合戦に出場したことで話題のビタミンボイス・三山ひろしさんが徹子の部屋で母の手紙に涙。
四万十川やお岩木山などが好評な実力派ですが、子供の頃は苦労人でした。
そんな三山ひろしさんの母親や父親や祖母や弟など家族とのエピソードやプロフィールに興味があったので調べてみました。
三山ひろしさんのプロフィール
名前:三山ひろし(みやま・ひろし)
本名:恒石 正彰(つねいし・まさあき)
出身地:高知県南国市
生年月日:1980年9月17日
三山ひろしさんと母親・祖母・弟とのエピソード
三山ひろしさんは1980年高知県生まれ。
10歳の頃、養子だった父親が家を出て離婚します。
理由は分からないそうですが、父親との思い出は残っていて、大好きだったそうです。
残されたのは老いた祖父母と母親と、幼い三山ひろしさんと弟でした。
家計を支えなければならなかった三山ひろしさんの母親は、レストランや弁当屋、新聞配達などのパートとして、寝る間もないくらい忙しく働き始めました。
幼い頃から祖父母に演歌を聞かされていて、将来は歌手になりたい夢をもっていた三山ひろしさんでしたが、少しでも母親の助けになるようにと、中学1年生のときから新聞配達を始めます。
子供の頃から歌が上手な三山ひろしさんでしたが、すぐにデビューとはいかず、また家計が苦しいこともあって、高校卒業後はいったん夢を諦めてガソリンスタンドに就職します。
なんと、給料の半分以上を母親に渡していたのだそうです。
三山ひろしさんは、日々の生活に追われ、ほとんど歌手の夢のことなど忘れてしまっていましたが、そんな孫の姿を痛ましく思っていたのが祖母でした。
祖母は三山ひろしさんに再び歌手の夢を追うように伝えようとしましたが、親孝行者の三山ひろしさんをすぐには説得できないこともよく分かっていました。
三山ひろしさんの祖母の考え、母親と弟の存在
そこで祖母が考えたのが、三山ひろしさんに詩吟を習わせることでした。
祖母のもくろみは見事的中し、三山ひろしさんは、詩吟教室に通って、節を付けながら声を出して詩を唄うことを繰り返していくうちに、次第に歌うことの楽しさ、そして歌手の夢が蘇ってきたのです。
そして、ある時、祖母は三山ひろしさんに黙ってNHKのど自慢に応募。
出場した三山ひろしさんは、いきなりチャンピオンになります。
これをきっかけに、はっきりと歌手になる夢を意識するようになりましたが、やはり母のことが気がかりだった三山ひろしさん。
しかし、すでに結婚していた弟からの「母親のことは自分に任せて」、祖母の「一度きりの人生だから悔いのないように」という言葉に背中を押されて、ついに上京を決意。
そして、上京後は、様々な職を転々としていくうちに、演歌歌手の松前ひろ子さんの付き人として働く機会を得ます。
厳しい下積み時代でしたが、ついに3年後の2009年、「人恋酒場」で念願のデビューを果たし、10万枚以上の大ヒットとなります。
2011年には日本レコード大賞の「日本作曲家協会奨励賞」、2012年にはシングル「男のうそ」でオリコン演歌1位、そして、2015年には紅白歌合戦出場を果たします。
2009年以降の三山ひろしさんだけに着目すると、トントン拍子に見えますけど、その前には苦労の多かった少年時代や、つらくて厳しい下積み時代があったのですね。
そして、それら全てを乗り越えて今の三山ひろしさんがあるのは、母や祖母や弟といった家族の存在がとても大きかったことが分かります。
特に母親への恩愛は測り知れないもののようで、最初に松前ひろ子さんと面談したときに、口をついて出た言葉は「歌手になりたい」ではなく、「親孝行したいから」だったそうです。
むしろ、親孝行したいという想いが本物だったからこそ、今の三山ひろしさんがあるのかもしれませんね。
最後に三山ひろしさんの新曲・四万十川の公式動画をYouTubeで見つけましたので、ご覧ください。
地元高知の四万十川にことよせて、きっと故郷の母親のことを思い出しながら歌っているのでしょうね。
以上、三山ひろしさんについてでした!