時をかける少女、私をスキーに連れてって等の映画、ロマンスなどの楽曲で知られる原田知世さん。昔の若い頃も、年齢を重ねた今現在も、とてもかわいいと評判です。

その原田知世さんはどんな人なのでしょうか?姉がいるみたいですね。また、結婚したものの離婚したそうですが、馴れ初めや離婚理由、夫や子供は?

原田知世さんの年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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原田知世さんのプロフィール

名前:原田知世(はらだ ともよ)
本名:同じ
出身地:長崎県長崎市
生年月日:1967年11月28日
年齢:50歳(執筆時)
身長:160cm
血液型:A型
学歴:長崎市立岩屋中学校、日出女子高等学校卒業
職業:女優、歌手
所属事務所:ショーン・ハラダ

原田知世さんは1967年長崎県生まれ。

子供の頃、真田広之さんの大ファンだったという原田知世さんは、長崎市立岩屋中学校在学中の1982年、映画『伊賀忍法帖』での真田さんの相手役ヒロインを探す『角川・東映大型女優一般募集』オーディションに応募します。

真田広之さんの元妻の手塚理美さんについて

同オーディションのグランプリには渡辺典子さんが選ばれ、原田知世さんはヒロインの座を射止めることはできませんでしたが、プロデューサー・角川春樹さんの目に留まり特別賞を受賞、芸能界入りを果たします。

その後、薬師丸ひろ子さん主演の映画をドラマ化した『セーラー服と機関銃』『ねらわれた学園』のヒロインとしてドラマデビュー。

デビュー当初から、「薬師丸ひろ子さんに続く大型新人」として話題になり、薬師丸ひろ子さん、渡辺典子さんと並んで「角川三人娘」と称されるようになります。

翌1983年に大林宣彦監督の『時をかける少女』で映画初出演にして初主演を果たし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。

(『時をかける少女』より)

また、自身が歌った同作品の主題歌『時をかける少女』は58.7万枚を売り上げ、原田知世さんの最大のヒット曲となります。

1984年、映画『愛情物語』『天国にいちばん近い島』に主演し、それぞれ同名の主題歌を歌唱。後者では初のオリコンシングルチャート1位を獲得しています。

1985年、映画『早春物語』に主演し、同名主題歌『早春物語』を歌唱。同楽曲で同年末の紅白歌合戦に初出場を果たします。

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原田知世さんの『私をスキーに連れてって』が社会現象に~現在

1987年、角川春樹事務所から独立し、実姉の原田貴和子さんとともに芸能事務所「ショーンハラダ」を設立。同年11月21日公開の映画『私をスキーに連れてって』に主演します。

(『私をスキーに連れてって』より)

この映画は当時社会現象となり、公開後は特に都心に近いスキー場が大混雑となり、また映画内のファッションを取り入れる一般客が続出するなど、80年代のスキーブームの火付け役となり、その後のスキー人口の増加に大きく貢献したと言われています。

なお、これまでの流れから、主題歌は原田知世さんが歌うことが予定されていたようですが、原田知世さん自身の発案により、同作品では松任谷由実さんが音楽を担当することが決定。

その挿入歌である『恋人がサンタクロース』は特に有名で、映画公開後、広く一般に浸透し、現在もクリスマスの定番曲として数多くのアーティストによってカバーされ続けています。

以後、

『彼女が水着にきがえたら』(89年)
『落下する夕方』(98年)
『紙屋悦子の青春』(06年)
『しあわせのパン』(12年)

などの映画や、

『びいどろで候~長崎屋夢日記』(90年)
『デッサン』(97年)
『紙の月』(14年)
『運命に、似た恋』(16年)

などのドラマに主演するほか、数多くのドラマ、映画に主演・出演します。

(『しあわせのパン』より。大泉洋さんと)

また、歌手としても数多くのシングル・アルバムを発表し、近年もシングル『I could be free』(15年)『恋愛小説2~若葉のころ E.P.』(16年)『ロマンス』(17年)、オリジナルアルバム『noon moon』(14年)、セルフカバーアルバム『音楽と私』(17年)をリリース。

現在に至るまで、女優・歌手として第一線で活躍を続けています。

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