沢田サタさんはピュリッツァー賞カメラマン・沢田教一さんの妻として知られていますが、レストラン「グルメさわだ」や著作『泥まみれの死』でも有名です。

その沢田サタさんについて、夫や子供、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

広告

沢田サタさんのプロフィール

名前:沢田サタ(さわだ さた)
出生名:田沢サタ(たざわ さた)
出身地:青森県弘前市
生年月日:1925年?
年齢:92歳(執筆時)

沢田サタさんの夫・沢田教一さん

沢田サタさんの夫は、世界的な戦場カメラマンの沢田教一さんです。

沢田教一さんは、ベトナム戦争中の、戦いに巻き込まれる市民の姿を捉えた『安全への逃避』でピュリッツァー賞を受賞しています。

沢田教一さんは1936年青森県青森市生まれ。沢田サタさんの11歳年下になります。

高校卒業後の1955年より、米軍三沢基地内のカメラ店で働きながら写真を撮り始めます。

沢田サタさんと沢田教一さんは、同じカメラ店に務めており、職場結婚になります。

11歳年上で、三十路を迎えており、結婚は無理だろうとあきらめていたそうですが、クリスマスの夜に、当時19歳の沢田教一さんから電報で入籍したことを報告されたのだそうです。

結婚後の1961年、沢田教一さんはプロカメラマンを目指し上京し、UPI通信に入社。

沢田教一さんがベトナムで写真を撮りたいと沢田サタさんに相談したところ、サタさんは一緒についていくことを決意します。

沢田教一さんは、65年、UPIサイゴン支局にカメラマンとしてサタさんを伴って赴任し、9月に『安全への逃避』を撮影。

66年に同作品を含む一連のベトナム戦争の写真によりピュリッツァー賞を受賞します。

途中、香港支局転勤を経て再びサイゴン支局に戻り、70年よりカンボジア取材を始めます。

5月にカンボジアにて共産主義勢力に拘束されるものの、無事生還を果たします。

しかし、10月にカンボジア・プノンペンで取材中に銃撃を受け、34歳の若さで亡くなります。

なお、沢田教一さんと沢田サタさんの子供についてですが、特に情報は出回っていないようです。

広告

ちなみに、『安全への逃避』に映っていた当時8歳の少女、グエン・ティ・キム・リエンさんは現在も存命で、農業を営んでいるそうです。

グエンさんによると、この作品の撮影時には米兵が何十人も近くにおり、死を覚悟したそうですが、幸い銃撃を受けることはなく、撮影していた沢田教一さんに川から引き上げてもらい、安全な方角を教えてもらったのだそうです。

その後も沢田教一さんは村の子供たちにケーキを配ったりなど交流が続き、70年に沢田教一さんがカンボジア取材中に亡くなったこと知らせを受けると、村中の人たちが泣いたのだそうです。

なお、沢田サタさんは89年に『安全への逃避』の舞台となった村を訪れ、グエンさんら写真に映った生存者たちと対面を果たしています。

沢田サタさんのレストラン

沢田サタさんは、青森県弘前市の自宅をそのままレストランとして経営していました。

その名も「グルメさわだ」。要予約で、1日1組だけという非常にレアな存在だったようです。

三沢基地で働いていたときに、元は船のコックだったという知り合いにスペアリブやローストビーフなどの洋食を教えてもらい、技術を身につけたみたいですね。

ただ、洋食だけでなく、東南アジア料理なども振る舞っていたみたいです。ベトナム滞在中に覚えたのでしょうかね。

残念ながら、高齢のためでしょうか、1982年から続けていたお店は、2011年に閉店してしまったようです。

以上、沢田サタさんについてでした!