囲碁棋士の井山裕太さんがついに七冠を達成しましたね。
将棋では羽生善治さんが1995年に七冠を達成しており、実に21年ぶりの快挙となります。
アルファ碁の登場もあり、最近にわかに囲碁界が活気づいてますよね。
日本の囲碁と言えば、井山裕太さんはもちろんですが、往年の名棋士で外せない存在がいます。
藤沢秀行さんです。
囲碁棋士としては天才肌で、実績も多いのですが、かなり破天荒な素行で知られていますが、どんな人だったのでしょうか。
藤沢秀行の名言
藤沢秀行さんは、その破天荒な人生で知られている一方で、名言の多さでも知られています。
たとえばこんな言葉を遺したそうです。
囲碁の神様が100を知っているなら、自分は4~5くらいだ。
試合が勝負ではない。毎日の積み重ねが勝負なのだ。
勝負にこだわってはいけない。勝ちとか負けではなくて、碁は芸。腕を磨け、人間を磨け。
若いうちはわき目もふらずに精進しろ。目先の勝負にこだわるな。
無限の世界だからわかるわけがない、ただ美しさがあるかどうかだ。
最悪の状態で戦えなければ男ではない。
相手の不運を期待した瞬間に運は逃げていく。
扇子にこんな揮毫(きごう)も遺しています。
強烈な努力。
本当に努力の人だったのでしょうね。
藤沢秀行さんの人間的魅力
何と言うか、これらの名言だけ聞くと、とてもストイックで、サムライのような、修行僧のような印象を受けます。
常人には測り知れない高みに到達した者だけが発することのできる、言葉の重みと言うか、深さと言うか。
すさまじい借金まみれ、愛人まみれ、重度のアル中でもあるという二面性が、不思議でもあります。
ロシアの大文豪・ドストエフスキーを髣髴とさせる二面性です。
藤沢秀行さん、素行は本当にデタラメだったみたいですが、人柄そのものは非常に魅力的だったそうで、何人もいた愛人たちと本妻の藤沢モトさんは、最終的には一緒に協力して藤沢秀行さんの世話をするようになるほどだったとか。
また、愛人たちのとの間にも何人も子供がいたそうですが、彼らにもとても慕われていたのだとか。
藤沢秀行さん、本当に、どういう人だったんでしょうね?スゴいと言うか、想像を絶します。
ちなみに本妻の藤沢モトさんも、藤沢秀行さんに負けず劣らず強烈な人だったそうで、回想録を残しています。
藤沢秀行さんの破天荒ぶりのみならず、藤沢モトさんの強烈な半生、そしてキャラクターの魅力がよく分かる作品です。
また、藤沢秀行さんは、非常に面倒見もよく、厳しくも温かく、多くの優秀な弟子を育てたことでも知られています。
藤沢秀行さんが若かった頃、今と違って中国・韓国の囲碁は弱かったそうです。
日本が一人勝ちだったわけですが、藤沢秀行さんは自分の得た知識や技術を惜しげも無く中国・韓国の若手たちに伝授します。
周囲からは反対もあったそうですが、藤沢秀行さんは志が高かったのでしょうね。
囲碁を日本だけに留めず、世界に広めたいという考えを持っていたのでしょう。
1980年代辺りから、日本と中韓の囲碁のパワーバランスが逆転し、以後現在に至るまで中韓に水をあけられているのはよく知られています。
井山裕太さんは日本ではダントツもダントツの最強棋士ですが、中韓には井山裕太さんレベル以上の棋士が何人もいるそうです。
アルファ碁と対局した李世ドルさんもその一人だとか。
日本が王者の座から転落したのは残念な気もしますが、そのおかげで囲碁は世界のゲームになりました。
そのような時代を創り出した、一つの大きな原動力となったのが、この藤沢秀行さんの「技術伝授」にあったのは間違いなさそうです。
そう考えると、藤沢秀行さんという人物の先見性にも圧倒されます。
今では中韓の囲碁はすっかり日本を追い越してしまいましたが、当時藤沢秀行さんの薫陶を受けた中韓の棋士たちは、今でも藤沢秀行さんのことを非常に敬愛しているのだそうです。
とにかく知れば知るほど凄い人物です。