わろてんかや陸王で話題の内場勝則さん、若い頃のダウンタウンとの関係にも関心が集まっています。

その内場勝則さんについて、結婚や嫁の未知やすえさん、子供など家族、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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内場勝則さんのプロフィール

名前:内場勝則(うちば かつのり)
本名:同じ
出身地:大阪府大阪市西成区
生年月日:1960年8月22日
年齢:57歳(執筆時)
身長:161cm
血液型:B型
学歴:大阪府立東住吉工業高等学校卒業
職業:お笑いタレント、俳優
現職:吉本新喜劇座長
所属事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

内場勝則さんは1960年大阪府大阪市出身。

1982年、大阪NSCに1期生として入学。同期にはお笑いコンビのダウンタウンやトミーズ、ハイヒールなどがいます。

NSC卒業後は「劇団インスタント」に所属し、花月などの舞台で活躍。

80年代は漫才ブームが起こり、多くの吉本興業のタレントが東京進出を果たしましたが、その一方で吉本新喜劇は若年層の支持を次第に失い、客足が遠のいていきます。

これを受けて、1989年には当時制作部次長だった木村政雄さんによる再生プロジェクト「吉本新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」が発動。

半年間で18万人を動員させなければ吉本新喜劇自体を廃止するという、非常に厳しいものでした。

これにより、現場の座員たちは緊張感を持って仕事に取り組むこととなりました。

また、そのセンセーショナルさは大きな宣伝効果を上げ、見事目標を達成。新喜劇は存続することとなりました。

内場勝則さんも、このキャンペーンによりリストラの対象となりましたが、結果的に残留を果たし、その後頭角を現すようになります。

そして、ダウンタウン、今田耕司さん、東野幸治さんらが東京進出を果たした後の1995年に、辻本茂雄さん、石田靖さんとともにニューリーダーに就任。

以後、吉田ヒロさんも加えた4人体制のニューリーダーの一角として、現在に至るまで吉本新喜劇を牽引する中心的存在であり続けています。

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内場勝則さんの嫁は未知やすえさん。馴れ初めは?

内場勝則さんの奥さんは、吉本新喜劇の1年先輩に当たる未知やすえさんです。

未知やすえさんは1963年大阪府東大阪市生まれ。実家は蕎麦屋とのことです。

大阪府立布施北高等学校在学中から花月・ポケットミュージカルスにダンサーとして出演し、その後吉本興業入り。

1982年に漫才コンビ「やすえ・やすよ」を結成しますが84年に解散。

解散後は吉本を辞めるつもりだったそうですが、会社から、

「お前はアホやから残ったらええねん」

と言われ、相方からも同意され、残留を決意。

すると、漫才を辞める最後の舞台の直前になって、「翌日から新喜劇の舞台の稽古に出るように」と会社から半ば強制され、新喜劇入りします。

そして、そこで知り合った内場勝則さんと結婚することになります。

きっかけになったのは、内場勝則さんが入院した時に、未知やすえさんがお見舞いに行ったことでした。

ほとんど泣いたことのない内場勝則さんが、未知やすえさんの「大丈夫?」という言葉に泣き、これが結婚につながったといいます。

そして、内場勝則さんの方から結婚を前提として交際を申し出、新喜劇仲間には秘密にしたまま交際を続け、1992年に結婚に至ります。

なお、このお見舞い、実は未知やすえさんの自発的意志ではなく、会社からの指示だったそうです。そんなきっかけで結婚にまでつながるなんて、縁とは面白いものですね。

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