リヤカーマンこと永瀬忠志(ながせただし)さんがクレイジージャーニーに登場。

41年間リヤカー牽いて地球一周以上とまさに「クレイジージャーニー」ですが、永瀬忠志さんはどんな方なのか?

旅を始めたきっかけ、経歴や職業や収入や家族など、wikiプロフィールが気になったので調べてみました。

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永瀬忠志さんのプロフィール

名前:永瀬忠志(ながせ・ただし)
出身地:島根県出雲市
生年月日:1956年2月15日

永瀬忠志さんは1956年、島根県生まれ。

1975年、大学在学中の19歳のとき、日本徒歩縦断に挑戦し、見事3200キロの道のりを踏破します。

これを皮切りに、1978年からは、リヤカーを牽いて世界一周に乗り出します。

2005年、ふたたび日本徒歩縦断に乗り出し、総踏破距離が43000キロに到達。

地球一周が約40000キロですから、まさに「地球一周以上」を歩き続けたことになります。

そしてさらに、30年ぶりの日本徒歩縦断は、30年前に旅先で出会った人たちを訪ね、お礼の挨拶に回る旅でもありました。

同年、ただ距離を歩くだけでなく、旅先での人と人とのふれあい・交流を大事にするこの姿勢が評価され、永瀬忠志さんは植村直己冒険賞を受賞します。

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永瀬忠志さんが冒険を始めたきっかけ

永瀬忠志さんは、小学校4年生のとき、上級生に誘われて20キロくらいの小さな自転車旅行に出掛け、そこで見たこともない風景や、暖かい人たちに出会った経験が、旅好きになったきっかけだそうです。

高校生の時は、3日かけて島根から大阪に自転車で行ったりもしたそうです。

さらに大学1年生の時、自転車で日本一周。

大学2年生の夏には徒歩で日本縦断に挑戦します。

ちなみに、リヤカーを牽くようになったのは、このときスタート地点の北海道でたまたま中古のリヤカーを見かけて、持ち主のおじさんに譲ってもらったのがきっかけだったそうです。

このリヤカーには「大左ェ門」と名づけました。

さらに大学2年生の冬、バス車掌のアルバイトで、中学生のスキー旅行に同伴した永瀬忠志さん。

そのとき、中学生の女の子に、「今度はどこを歩くの?」と聞かれ、「今度は世界だ!」という言葉が口をついて出てきたそうです。

女の子からは笑われてしまいましたが、その後も自分自身の言葉を覚えていた永瀬忠志さんは、ついに世界一周リヤカー旅行を決意。

これ以降のリヤカーには「田吾作」と名づけています。

大学3年、4年の間にアルバイトしてお金を貯め、1978年にオーストラリアに発ち、4200キロを横断。

これを皮切りに、アフリカ、韓国、スリランカ、台湾、ジャワ島、マレーシア、インド、フィリピン、モンゴル、タイ、中国、南米大陸など、世界各地をリヤカーを牽いて歩く旅をするようになったのです。

永瀬忠志さんの現在の職業や収入、家族などは次のページで!