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]]>名前を十河博子(そごうひろこ)さんといい、柔らかいタッチの草花の絵に、シンプルで心に響く言葉を綴った絵手紙を、訪れる人に渡し続けています。
十河博子さんとはどのような人なのか、夫や子供など家族、その作品やエピソードなどに興味があったので調べてみました。
名前:十河博子(そごう・ひろこ)
出身地:香川県
生年月日:1936年
十河博子さんは、1936年に香川県で生まれますが、裁判官の父親の転勤で、旧満州で育ちます。
そして、敗戦後、内地に引き揚げ、その後、医師と結婚。
父親が裁判官で、夫が医師というところから、十河博子さんの家はエリートの家系であることがうかがえます。
讃岐(香川県)の十河氏と言えば、甲斐源氏の流れをくむ三好一門の戦国大名として有名ですが、その末裔なのでしょうかね?
十河博子さんご自身の雰囲気や人柄も、とても上品な感じですよね。
十河博子さんは、10年以上書き溜めてきた絵手紙や、それにまつわるエピソードをまとめた著作を、2015年に出版しています。
十河博子さんが、訪れる人々から元気や勇気をたくさんもらったように、この絵手紙から元気や勇気をもらった、仕事や病気や恋愛で悩んでいる多くの人たちとの交流が描かれています。
自ら命を絶とうと考えていた人にも少なからず会ったことがあるそうですが、十河博子さんに会って思いとどまり、今では安定した仕事に就いて、時々十河博子さんを訪れて楽しく話をして帰っていけるくらいにまでなった方もいたりするみたいです。
十河博子さんの絵と言葉には、そんなすごいパワーがあります。
十河博子さんは、丸亀城で、観光客や市民との語らいの場として「お城サロン」というオープンギャラリーを10年以上続けています。
夏場(5月~10月)の木金土に城内南側の「搦め手林」で、冬場(11月~4月)の木金土に城内西側の玄関先御門でサロンを開いています。
出会った人たちに、絵手紙を渡す際に、着物や端切れから作った「そごう袋」に入れて渡しています。
十河博子さんによると、絵手紙は「花嫁」で、そごう袋は「嫁入り道具」なのだそうです。
絵手紙にも、そごう袋にも、一切お金を取らないことにしているそうです。
と言うのも、代わりに人々から多くの笑顔と元気を受け取っているからなのだとか。
そもそも十河博子さんは、なぜこのようなボランティア?的なサロンを始めたのでしょうか。
それはある悲しい出来事がきっかけでした。
十河博子さんには長年連れ添った夫がいましたが、2002年に亡くなったのです。
夫婦仲はとても良かったようで、それからというもの、十河博子さんは毎日泣き暮らしていたそうです。
翌年の春のある日、気を紛らわせるために丸亀城に行ったところ、満開の桜がとても綺麗で、「これは夫からのプレゼントだ」と思った十河博子さんは、それからお城や草花のスケッチを始めることにました。
最初のうちは毎日泣きながら絵を描いていたそうです。
そのため、丸亀城を訪れる人々に慰められ、励まされる毎日でした。
そして、そのうち、絵を描く十河博子さんの周囲に人が集まるようになり、サロンのようになっていったそうです。
訪れる人たちのおかげもあって、徐々に十河博子さんは立ち直り、今では笑顔で過ごせるようになりました。
そんな経緯があったため、十河博子さんが絵手紙やそごう袋を訪れた人たちに配るのは、自分を立ち直らせてくれたお礼という想いがあるのでしょうね。
十河博子さんには3人の子供がいらっしゃるそうです。
そのうちの一人は、十河浩二さんといって、理学療法士をなさっています。
介護・医療職のための勉強会「花咲かせ塾」を主宰なさっています。
花咲かせ塾
https://www.facebook.com/hanasakase/
母親である十河博子さんの著書の監修もしています。
いきてる え・て・が・み
こちらも「お城のおばあちゃん こころの絵手紙」と同じく、絵手紙とエピソードを載せたものですが、息子である十河浩二さんが選んだという点が特徴的です。
実際に丸亀城に足を運んで、十河博子さんにお会いするのがベストでしょうけれど、これらの著作でも、その絵手紙の力を十分に感じることができそうです。
これからも元気に、「お城サロン」を続けて、素敵な絵手紙をたくさん描き続けてほしいですよね。
以上、十河博子さんについてでした。
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