ベトナムの赤ひげ先生こと眼科医・服部匡志(はっとりただし)さんがカンブリア宮殿に登場。

その服部匡志さんの高校大学など学歴や経歴、収入、家族といったwikiプロフィールについて調べてみました。

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服部匡志さんのプロフィール

名前:服部匡志(はっとり・ただし)
出身地:大阪府
生年月日:1964年
学歴:大阪府立四條畷高等学校、京都府立医科大学医学部卒業

服部匡志さんは、高校時代は当初文系志望でしたが、父親を胃がんで亡くしたことから、医学部志望に転向します。

しかし、当時服部匡志さんはお世辞にも優秀な生徒とは言えず、医学部志望と伝えると進路指導の先生に「今の成績では無理だ」と言われます。

一方、「死ぬ気で2年くらい頑張れば何とかなる」とも言われ、本格的に医学部を目指した受験勉強を始めます。

しかし、模試では好成績を納めるものの、本番で失敗が続き、結局4年もの浪人生活の末、苦学して京都府立医科大学の医学部に進学します。

本当に医者になりたかったのでしょうね。

父親を見舞った時、主治医が看護師に向かって「もう長くないくせに、うるさい患者だ」と父親の陰口を言っているのを耳にし、大きなショックを受けました。

そして、「自分自身は絶対に良い医者になる」と心に誓ったのだそうです。

とは言え、当初はベトナムなどの海外に目が向いていたわけではなく、卒業後は京都府立医科大学眼科のレジデントから、大阪、京都、熊本、福岡、静岡と日本各地の眼科を転々とします。

転機となったのは2001年に、学会で知り合ったベトナム人医師に、ベトナムの眼病患者の治療と、眼科医の育成を懇願されたことでした。

翌2002年にベトナムに渡り、ハノイ国立眼科研究所、ホーチミン市立眼科病院、ハイフォン眼科センターなどで眼科医の養成に携わるほか、ベトナム各地の貧困層の眼病患者に対し、無償で手術を実施してきました。

その症例数は、現在までで数千を超えています。

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「患者を自分の家族と思え」

ベトナムで医療援助を行う際に重要だったのは、服部匡志さん自身が手術を行うこともですが、それ以上に、ベトナムの眼科医療の水準を上げること、技術を持つベトナム人眼科医を育てることでした。

そして、ベトナムにおける医療現場の環境、そしてとりわけ意識を改革することでした。

服部匡志さんがベトナムに来るまでは、とてものんびりしたもので、社会主義国ということもあり、時間通りに休憩し、時間通りに帰っていく。

だから、時間外の患者は追い返すし、時間をオーバーしたら手術を中断して平気で帰り支度を始めてしまう、そんな状況だったそうです。

そんなベトナム人スタッフの意識を改革することの必要性を痛感した服部匡志さんは、「患者を自分の家族と思え」をモットーとします。

家族が患者だったら、お前たちはそんな対応はしないはずだ。

この言葉は、家族をとても大事にするベトナム人の心に響いたそうです。

そして、そう諭されたベトナム人スタッフたちは、時間はかかったものの、次第に意識が変わっていきました。

また、自分だけでは指導しきれないベトナム人医師を、研修に受け入れてもらうために、渋る日本の医療機関と交渉して説得するなど、医療そのもの以外の、政治力や人間力といったものが非常に重要になる仕事でした。

服部匡志さんの尽力もあり、現在のベトナムの医療環境は大幅に改善され、また高い技術と意識を持ったベトナム人医師も多く育っています。

服部匡志さんによると、ベトナムはまだまだ服部匡志さんの力を必要としているようですが、だいぶ独り立ちしてきたとのことで、他にタイ・ラオス・インドネシアなど、他の東南アジア諸国にもその活動の幅を広げています。

服部匡志さんの次なるターゲットはミャンマーで、東南アジア諸国全体を視野に入れているようです。

服部匡志さんの収入や家族については次のページで!