エコーズ、ザムザのボーカルにして、ピアニシモや海峡の光、白仏などの文学作品で知られる作家でもある辻仁成さん。

非常に多才な人ですが、近年は息子や料理のことなどが話題です。また、中山美穂さんとの離婚も大きな話題となりました。

中山美穂さんとの離婚の原因・理由は?結婚馴れ初めは?

辻仁成さんの年齢、高校大学、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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辻仁成さんのプロフィール

名前:辻仁成(つじ ひとなり)
本名:同じ
別名義:辻仁成(つじ じんせい)
出生地:東京都南多摩郡日野町
生年月日:1959年10月4日
年齢:58歳(執筆時)
学歴:北海道函館西高等学校卒業、成城大学経済学部中退
職業:作家、ミュージシャン
所属事務所:タイタン

辻仁成さんは1959年東京都生まれ。

大手保険会社のエリート会社員だった父親の転勤で、福岡市、帯広市、函館市など各地を転々とする少年時代を過ごします。

中学3年生から高校卒業までを北海道函館市で過ごし、高校は北島三郎さんの母校としても知られる地元の北海道函館西高等学校に進学。

高校時代は柔道部に所属し、詩や小説の執筆、音楽活動に明け暮れる日々だったといいます。

高校卒業後は成城大学経済学部に進学しますが中退し、1985年にロックバンド・ECHOES(エコーズ)のボーカルとしてデビュー。

(向かって右端が辻仁成さん)

同バンドは1989年のシングル『ZOO』などの楽曲で知られ、1991年に解散するも、2000年の辻仁成さん脚本のドラマ『愛をください』の主題歌として使用されたことから再び大ヒット。

同2000年末には武道館で一夜限りの再結成ライブを行い、その後2011年3月11日の東日本大震災後にファンからの復活を望む声に応じて再始動し、現在も解散せずに活動を継続しています。

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ECHOESボーカルとして活躍していた1989年に『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞し、作家デビューを果たします。

辻仁成さんが小説家としての活動を本格化させるためなどの理由で、ECHOESは1991年に解散。

以後、小説家として数多くの著作を執筆し、1994年『母なる凪と父なる時化』芥川賞候補、1996年『アンチノイズ』三島由紀夫賞候補を経て、1997年『海峡の光』で芥川賞受賞。

さらに1999年『白仏』の仏語訳版がフランス5大文学賞の1つである「フェミナ賞」外国小説賞を日本人として初めて受賞。

2003年に渡仏し、現在もフランスに在住しながら創作活動を続けています。

作家・音楽家としての活動以外では、映画監督、テレビドラマの脚本、舞台の作・演出を手がけるほか、2007年から9年間、京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース学科クリエイティブ・ライティングコース教授を務めたり、2011年より同大学で開講した「人間塾」の塾長を務めるなど、教育者としても精力的に活動を行っています。

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