SWITCHインタビューに立川談春さんが登場し、恵林寺住職の古川周賢さんと対談します。

ルーズヴェルト・ゲームで演技が高く評価され、落語独演会のチケットが即日完売するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの立川談春さんですが、「弟子」についての悩みを抱えているとか。

そんな立川談春さんの弟子や本名、結婚、嫁家族などのwiki的プロフィールに興味があったので調べてみました。

立川談春さんのプロフィール

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名前:立川談春(たてかわ・だんしゅん)
本名:佐々木信行(ささき・のぶゆき)
出身地:東京都(→幼少時に埼玉県戸田市へ転居)
生年月日:1966年6月27日
学歴:埼玉県立南稜高等学校中退

立川談春さんは、中学時代に親に戸田競艇場に連れて行かれたことがきっかけで、競艇選手を志したことがあるそうです。

しかし、高校1年生にして身長が172センチあったため、170センチ以下が条件の競艇選手の道は断念せざるを得ませんでした。

落語との出会いは、立川談志さんの高座でした。

落語そのものよりも、立川談志という人間に惹かれたのだそうです。

そして1984年に高校を中退し、立川談志に入門。立川談春を名乗ります。

1988年に二つ目に昇進。

1997年には真打ちに昇進。

現在では、独演会のチケットが毎回のように即日完売し、「最もチケットの取れない落語家」の異名を取るほどの人気落語家になりました。

本業の落語だけでなく、エッセイ「赤めだか」を執筆し、講談社エッセイ賞を受賞したり、ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」での演技が注目されるなど、俳優や作家としても活躍しています。

立川談春さんの結婚は?

立川談春さんは、ほとんどプライベートを明かしておらず、情報が少ないのですが、結婚はなさっているようです。

交流のある落語家の柳家一琴さんのブログで、立川談春さんが「奥さんが大好きだ」と書いてあったり、立川談春さんご自身がインタビューで、「カミさんと二人暮らし」と語っていたそうです。

「二人暮らし」とあることから、当時は子供はいなかったのでしょうが、現在もいないのかどうかは分かりませんでした。

立川談春と笑点

「立川談春 笑点」で検索をかける人が多いようです。

やはり、これほどの人気落語家ですから、笑点のような番組で毎週お目にかかりたい、という人が多いのでしょうかね。

桂歌丸さんが司会を退くとのことで、後継者に注目が集まっています。

初代司会は立川談春さんの師匠である立川談志さんだったということもあり、もしかしたら立川一門からもあり得るのでは、という声もあるようです。

で、立川一門の中で有力な候補としては、立川志の輔さん、立川談春さんが挙がっているとのことです。

しかし、これはあくまでも下馬評に過ぎず、実際のところは分かりません。

名跡といい、出演歴といい、三遊亭圓楽さんが最有力ではないか、とも言われていますが、こればかりは公式に発表されるまでは分かりませんよね。

立川談春さんの弟子は?

立川流の昇進規定は厳しく、二つ目昇進のためには古典落語50席、真打ち昇進には100席の習得が課せられます。

さらに師匠による審査と、二つ目昇進には長唄や日本舞踊も条件になります。

これだけでもかなりハードルが高いのですが、立川談春一門では、さらに厳しい条件が課せられています。

・前座期間は5年間。その間に二つ目に昇進しなければ破門。
・二つ目昇進試験は一度限り。

立川談春さんは多くの弟子を取ってきましたが、このような厳しい条件のため、今のところ二つ目にまで昇進したのは、立川こはるさんと立川春吾さんの2人だけのようです。

他にも立川はる一さん、立川春太さんなど、多くの人が立川談春一門に入門しましたが、みな廃業してしまっています。

さらに、二つ目にまで昇進した立川春吾さんも、現在では表舞台に立っておらず、すでに廃業しているという噂です。

弟子の育て方が悩み?

立川談春さんは、「弟子の育て方」で悩んでいるそうです。

弟子時代のある時、師匠である立川談志さんから、「お前たちの存在自体が不愉快だ」と言い放たれ、なんと築地に働きに出されてしまったのだそうです。

その期間は一年ほど。

とても長く感じられ、復帰できるのか、気が気でなかったそうです。

破天荒な立川談志さんらしいエピソードですが、今度は立川談春さんが弟子を取る立場になって、立川談志師匠の気持ちが痛いほどよく分かったのだそうです。

豊富な経験と優れた技術、そして何より高い志を持って何十年も落語に携わってきた立場からすれば、弟子たちの下手さや志の低さは本当に不愉快に映るのでしょうね。

立川談志さんも、落語に対する想いの強さ、志の高さで知られていました。

余りに落語に対する想いが強すぎて、弟子には非常に辛く当たりがちだったそうです。

新しいネタをものにして、芸域を広げる努力をせず、ただその場で受けるだけのネタを寄席でやって帰ってくるだけ。

立川談志さんには、昨今の落語家たちの多くがそのように映っていたようです。

立川談志さんは、自分自身が落語について誰よりも勉強し、誰よりも考えてきた人だけに、そのような落語家の働きぶりが許せなかったところがあったのでしょうね。

そんな立川談志さんの辛辣さを、弟子時代は理解できなかった立川談春さんですが、今ではとても良く分かるとのこと。

きっと、ご自身も師匠の立川談志さんのように、自分に厳しく生きてきたからこその感慨なのだと思います。

「自分に厳しく、他人に優しく」ありたい、ということなのだと思いますが、これってとても難しいことですよね。

自分に厳しい人は、どうしても他人にも厳しくなりがちです。

そのことについて、徳の高い僧侶である古川周賢さんにアドバイスを仰ぎたい、と考えたのでしょうね。

ご自身の落語自体は順風満帆なものの、弟子たちがことごとく廃業してしまうという、師匠としては不本意な状況ですので、今後に期待ですよね。

以上、立川談春さんについてでした。

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