宇崎竜童さんと言えば、妻の作詞家・阿木燿子さんとのコンビで、山口百恵さんをはじめとする一流アーティストに数多くの名曲を提供した作曲家として知られています。

また、自身の率いるバンドでも「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせたり、俳優・映画監督としても活躍が著しく、非常に多才な人のようです。

その宇崎竜童さんの妻・阿木燿子さんとの結婚や馴れ初め、子供など家族について、本名、身長や高校大学、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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宇崎竜童さんのプロフィール

名前:宇崎竜童(うざき りゅうどう)
本名:木村修司(きむら しゅうじ)
出身地:京都府京都市
生年月日:1946年2月23日
年齢:71歳(執筆時)
身長:175cm
学歴:明治大学付属中野高等学校、明治大学法学部法律学科卒業
職業:歌手、作曲家、俳優、映画監督

宇崎竜童さんは1946年に、母親の出身地で疎開先だった京都市に生まれます。

生後間もなく東京に引っ越し、東京都中野区にある明治大学付属中野中学校・高等学校を経て、68年に明治大学法学部を卒業。

明治大学では軽音楽部に所属し、のちに妻となる同級生・阿木燿子さんと出会い、作曲を始めます。

ただ、すぐに専業の作曲家になったわけではなく、卒業後は商社の内田洋行に就職します。

そして同社をわずか1ヶ月で退職後、芸能事務所でマネージャーを務め、2年間ほど松崎しげるさんを担当しますが、ここも退社します。

大学卒業後はすぐに就職した宇崎竜童さんでしたが、そのかたわらに阿木燿子さんの作詞とのコンビで、作曲家としての活動を始めています。

その後、コンサートに飛び入り参加したのがきっかけでレコード会社から声がかかり、1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。

74年に「スモーキン・ブギ」、75年にシングルB面曲だった「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がヒット。

特に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、100万枚を超える大ヒットとなり、同年末の紅白歌合戦初出場を果たしています。

なお、同バンドは80年に改名を経て、81年に解散しています。

宇崎竜童さんは、この頃には、バンド活動と並行して、阿木燿子さんとのコンビで山口百恵さん(『横須賀ストーリー』『イミテイション・ゴールド』『プレイバックPart2』『美・サイレント』など)をはじめとする一流アーティストに数多くの楽曲を提供するなど、作曲家としての名声を確立しています。

また、音楽以外でも、俳優として79年の映画『曽根崎心中』や82年の映画『TATOO(刺青)あり』に主演するほか、2001年のドラマ『非婚家族』や2016年の月9ドラマ『ラヴソング』など、数多くの作品に出演。

(『曽根崎心中』より。梶芽衣子さんと)

さらに、映画監督としても92年の映画『魚からダイオキシン!!』を監督するなど、多彩な活動を展開しています。

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宇崎竜童さんに逮捕歴が?

宇崎竜童さんを検索すると「逮捕」という穏やかでない関連キーワードが出てきます。

気になって調べてみたのですが、どうやら宇崎竜童さんではないようです。

宇崎竜童さんのバンド「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の元メンバーであるギタリスト・蜂谷吉泰さんが、2013年8月13日時点で自宅にて大麻を所持していた疑い(大麻取締法違反)で逮捕されたようです。

おそらく「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」つながりで、その顔である宇崎竜童さんが逮捕されたと誤解した人が少なからずいたのでしょうね。

なお、蜂谷吉泰さんは天才ギタリストの呼び声高い、実力者だったようですが、同バンドのごく初期のメンバーだったらしく、「スモーキン・ブギ」のときにはすでに脱退していたとのことです。

ちなみに宇崎竜童さんは、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」時代はリーゼントにつなぎ姿で、アウトローなイメージがありましたが、それはあくまでもキャラクターを演じていただけで、実際には非常に育ちの良い、真面目で品行方正な青年だったそうです。

そのため、そのバンド時代のキャラクターが実像だと認識していた人が実際に会うと、そのギャップに驚かれることが少なくないみたいですね。

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