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中井貴一さんと父・佐田啓二さん

自分が2歳の時に亡くなっているため、父親の記憶がほとんどなく、父親の生き様を間近で見て自分の将来の生き方を考える、といったことが不可能だったという中井貴一さん。

成蹊大学に進学した後も、父親と同じ俳優になることは全く考えておらず、普通に就職しようと考えていたそうです。

幼いころから父親の映画を観てきて、「自分には無理だ」と考えていたみたいですね。

また、幼い頃から中井家の家長として遇されて育ったため、家のために稼がなくては、という意識も早くに芽生えていたといいます。

しかし、大学在学中の父親の17回忌で、偶然映画監督から声を掛けられたことがきっかけで、

「オヤジの仕事を1度やってみれば、将来について判断がつくんじゃないか」

と思うようになり、映画に出演することを決意したのだそうです。

その後の中井貴一さんの活躍ぶりは、よく知られるとおりです。こちらのランキングでは、「親を超えたと思う二世タレント」で宇多田ヒカルさんに次ぐ堂々の第2位に輝いています。

中井貴一さんほどの実力と実績があれば、もはや二世かどうかは関係ないですよね。もっと言えば、若い世代では中井貴一さんが二世であることを知らない人の方が多いのではないでしょうか。

中井貴一さんは、人生の一大転機となったその決断を下した理由について、上のように述べていましたが、一方で、

今から思いだしても、なんでそう言ったのかは分かりません。あの時押したのは、親父しかいないような気がしています。

とも回想しています。

意識的にせよ、無意識的にせよ、中井貴一さんのその決断、またその後の人生には、父・佐田啓二さんの存在が非常に強く影響していることがうかがえます。

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中井貴一さんの姉

中井貴一さんには中井貴恵さんという姉がいます。

中井貴恵さんは1957年生まれで、中井貴一さんの4歳年上です。

父親の佐田啓二さんと同じ早稲田大学に進学し、在学中の1977年に映画『女王蜂』のヒロイン・大道寺智子役でデビュー。

同作品では石坂浩二さん、岸恵子さん、司葉子さん、高峰三枝子さん、仲代達矢さんら多数の大スターと共演し、大型新人として鳴り物入りでデビュー。

映画は大ヒットとなり、中井貴恵さんは数々の新人賞を受賞します。

その後も多くのドラマ、映画に出演しますが、1987年に結婚したのを機に女優業を休業。

結婚後は夫の勤務地であるアメリカに転居し、後に帰国。現在は2女の母親として東京在住とのことです。

現在の中井貴恵さんはエッセイストとして『貴恵のニューイングランド物語』『父の贈りもの』などの著作を出版するほか、

絵本『大きな木のおくりもの』『おおきなかぶ』『はらぺこかいじゅう』『くるみわり人形』などの翻訳を手がけたりなど、文筆家として活躍。

ほかにも『手話ボランティア入門』を出版したり、絵本朗読を行う「大人と子供のための読みきかせの会」の活動を行ったりなど、幅広く活躍しています。

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