岩城滉一さんと言えば、バイクや宇宙旅行、時計、自宅、韓国との関係、また嫁の結城アンナさんやその弟、子供(娘)などが話題です。

その岩城滉一さんについて、若い頃や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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岩城滉一さんのプロフィール

名前:岩城滉一(いわき こういち)
出身地:東京都
生年月日:1951年3月21日
年齢:66歳(執筆時)
身長:175cm
血液型:A型
学歴:日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業
職業:俳優
所属事務所:A-team

岩城滉一さんは1951年東京都生まれ。

デビュー前の岩城滉一さんは、東京・原宿を拠点とする硬派バイクチーム「クールス」の副団長を務めていました(団長は舘ひろしさん)。

もともと岩城滉一さんと舘ひろしさんは赤の他人でしたが、ある時岩城滉一さんがバイクを駐めて飲食店で食事をしていると、舘ひろしさんが歩み寄ってきて、「あのバイク、君の?」と声を掛けたことから意気投合。

当時、舘ひろしさんはバイクの免許を持っていなかったそうですが、岩城滉一さんは免許を取得することを勧め、舘ひろしさんはそれに従います。

そうやって結成されたのがクールスでした。

クールスは矢沢永吉さんのバンド「キャロル」の親衛隊として有名になり、その縁でロックバンドとしてデビュー。

これがきっかけとなり、ボーカルを務めた団長の舘ひろしさんは芸能界入りを果たします。

一方、岩城滉一さん自身は音楽には全く興味がなく、クールスの音楽活動には参加しませんでした。

ところが、クールス時代のハーレーダビッドソンに乗った姿が週刊誌に掲載されると、それを見た東映の関係者から、「70万円やるから映画に出ないか」と誘われ、俳優としてデビューすることになりました。

以後、数多くのドラマや映画で活躍。

特に倉本聰さん脚本のドラマ『北の国から』の北村草太役は非常によく知られています。

俳優以外にも、レーサーとしての活動も有名で、カーレーサーとしては1980年より、

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
全日本F3選手権
全日本ツーリングカー選手権
全日本F3000選手権

などに参戦。

また、現在は「チームイワキ」の選手兼監督としてバイクレースにも出場するなど、幅広く活躍しています。

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岩城滉一さんの嫁は結城アンナさん

岩城滉一さんの妻はタレントの結城アンナさんです。

芸能界きってのおしどり夫婦として有名で、特にハウス食品のCM「ジャワカレー」での共演はよく知られています。

結城アンナさんは1955年スウェーデン生まれ。父親が日本人、母親がスウェーデン人のハーフです。

自宅の青山付近を歩いていたところをスカウトされ、15歳の時にモデルとしてデビュー。

岩城滉一さんと結城アンナさんの馴れ初めは、青山の喫茶店で友人に紹介されたことから。

当時の岩城滉一さんは複数の女性と交際していたらしく、結城アンナさんから見た第一印象は「悪い人」だったそうです。

その一方で、それが面白いと思ったそうで、また「頼りになる人」でもあったそうで、次第に親しくなり、結城アンナさんが20歳のときに交際に発展。

そして、1976年、21歳のときに娘を出産します。

当時の岩城滉一さんは俳優として駆け出しで、稼ぎも多くなかったため、結城アンナさんがモデルの仕事と育児を両立させ、大黒柱として一家を支えてきたといいます。

そして、次第に岩城滉一さんが売れるようになってきたため、結城アンナさんは30歳ごろにモデルの仕事を引退し、以後、専業主婦として家族を支えることになりました。

ただ、完全に表舞台から姿を消したわけではなく、夫の岩城滉一さんと一緒にCMやトーク番組などに出演したり、本を出版したりなどの活躍をなさっています。

ところで、岩城滉一さん・結城アンナさん夫妻は、子供が生まれた後も、長年事実婚の関係にありました。

スウェーデン生まれだった結城アンナさんにとって、結婚はする必要のないもの、という感覚だったそうです。

それどころか、「結婚はカッコ悪い」とさえ思っていたのだとか。

それに対して、岩城滉一さんは「結婚しなくていいの!?」と喜んでいたのだそうですが(^_^;)

しかし、現実問題として、籍を入れておかないと、法律上さまざまな不利益を被ることを知り、娘が大学生の頃に入籍しています。

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