石井一久さんと嫁の木佐彩子さんが徹子の部屋に出演します。

石井一久さんと言えば、プロ野球界でも屈指の才能と実績を持つ大投手ですが、非常に特徴的な性格で、数々の伝説と名言があるそうです。

どのようなものなのか、その成績や年俸などのデータとともに調べてみました。

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石井一久さんのプロフィール

ishiikazuhisa

名前:石井一久(いしい・かずひさ)
出身地:千葉県千葉市若葉区
生年月日:1973年9月9日
身長:185cm
体重:100kg
学歴:千葉市立みつわ台中学校、東京学館浦安高等学校卒業

石井一久さんは、高校時代の1991年の甲子園の千葉県大会予選で52奪三振を記録して注目を浴び、同年ドラフト1位指名でヤクルトスワローズに入団します。

1992年から「将来のエース」との期待を込めて背番号16を与えられます。

1997年にはノーヒットノーランを達成。

翌1998年にはシーズン三振奪取率11.047の日本新記録と、シーズン最多暴投20の日本新記録を同時に達成するという珍記録を達成。

2000年にはセ・リーグの最優秀防御率と最多奪三振の二冠を達成。

2001年にはメジャー挑戦を表明し、ロサンゼルス・ドジャースに入団。

2002年の前半には11勝を挙げるも、後半で調子を落とし、さらに打球を受けて頭蓋骨骨折の重症を負います。

2005年のメッツ移籍を経て、2006年ヤクルトスワローズに復帰。年俸2億4000万円+出来高の2年契約を結びます。

同年、日米通算1500奪三振を記録。

2007年にFAを行使し、2008年に西武に移籍。

同年、日本通算100勝を達成し、11勝10敗を記録します。

2011年に日米通算2000奪三振を達成。

2012年には4年ぶりに2ケタ勝利を収めるものの、怪我で2軍落ちし、翌2013年も左肩の不調により不本意なシーズンに終わり、同年9月、ついに引退を発表します。

石井一久さんの年俸と成績

石井一久さんは天才肌の投手で、怪我や暴投・与四死球の多さなど、安定を欠くところもありましたが、日米通算22年の投手人生で、目覚ましい記録を遺しています。

以下に石井一久さんの通算成績と年俸をまとめておきます。

石井一久さんの日米22年の生涯成績

182勝137敗1S
勝率0.571
投球回数2717
被安打数2377
被本塁打286
与四死球1410
敬遠42
奪三振2545
暴投137
ボーク5
失点1281
自責点1147
防御率3.80

石井一久さんの年俸

1991年(18) ドラフト1位 契約金8000万円(ヤクルト)
1992年(19) 700万円 0勝 防御率4.18
1993年(20) 980万円 3勝1敗 防御率4.70
1994年(21) 1200万円 7勝5敗 防御率4.08
1995年(22) 2800万円 13勝4敗1S 防御率2.76
1996年(23) 5100万円 1勝5敗 防御率5.23
1997年(24) 4000万円 10勝4敗 防御率1.91
1998年(25) 6800万円 14勝6敗 防御率3.30
1999年(26) 1億1000万円 8勝6敗 防御率4.80
2000年(27) 1億2000万円 10勝9敗 防御率2.61
2001年(28) 1億5000万円 12勝6敗 防御率3.39
2002年(29) $900,000  14勝10敗 防御率4.27(ドジャーズ)
2003年(30) $2,575,000 9勝7敗 防御率3.86
2004年(31) $2,975,000 13勝8敗 防御率4.71
2005年(32) $3,575,000 3勝9敗 防御率5.14(メッツ)
2006年(33) 2億4000万円 11勝7敗 防御率3.44(ヤクルト)
2007年(34) 2億2000万円 9勝10敗 防御率4.16
2008年(35) 2億2000万円 11勝10敗 防御率4.32(西武)
2009年(36) 2億5000万円 9勝9敗 防御率4.29
2010年(37) 1億9000万円 9勝6敗 防御率3.70
2011年(38) 1億9000万円 6勝9敗 防御率4.31
2012年(39) 1億7000万円 10勝5敗 防御率3.33
2013年(40) 1億9000万円 0勝1敗 防御率6.75

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石井一久さんの伝説・名言

石井一久さんと言えば、そのとぼけた自然体のキャラクターで、数多くの伝説・名言が残されています。

野球が好きではない

プロ野球界でも随一の天性の持ち主と言われるほど才能ある投手でしたが、もともとはサッカー選手になりたかったようで、プロ野球選手には知らないうちになっていたのだそうです。

そもそも石井一久さんが野球をはじめたきっかけは、子供の頃、喘息持ちだった石井一久さんを見た父親が、野球を勧めたことでした。

しかし、中学に上がってから、野球を離れ、サッカーに没頭します。

そして中学3年のとき、最後だからということで、野球に戻ったのだそうです。

そのときにホームランを2本も打って、それを見た人から「うちの高校に来なさい」と声を掛けられたのです。

石井一久さんの親も、自分の息子をプロ野球選手にしたいという思いがあり、その意向に従って、高校に上がっても野球を続けました。

しかし、決してプロ野球選手になるつもりではなく、卒業したら辞めるつもりでいたところが、プロのスカウトが大勢やってきて、石井一久さんの争奪戦がはじまり、そのままプロ入りを果たしてしまった、という顛末になりました。

本人曰く「なんか知らないうちにプロになっていた」のだとか。

そんなわけで、野球そのものは、プロになってからも、それほど好きではなかったそうです。

ただ、仕事で給料をもらっているからやる、という感じだったようです。

と言っても、嫌々やっていたわけではなく、野球を続けたお陰で、自分の勝ちたいという闘争心も芽生え、素晴らしい仲間にも出会え、楽しかった。

だから野球人生そのものには非常に満足し、親にも感謝しているとのことです。

何と言うか、なりたくてなりたくて仕方がないのになれない人がほとんどなのに、こういう人もいるんですね^^;

レギュラーなのに球拾い

なぜか普通の練習よりも球拾いの方が好きで、高校時代はレギュラーで先輩という立場にもかかわらず、球拾いばかりしていたそうです。

その理由は「散らかっているのが気になるから」だそうです^^;

その姿を見た後輩から、「石井」と呼び捨てにされたりしたようですが、ご本人は全然気にしていない様子。

野球選手としての実績もですが、人間的にも大物ですよね。

自分の流儀で、でも流れに逆らわないように自然体に生きるというのは徹底しているようで、例えばキャッチャーのサインに納得がいかなくても、首を横に振ったりせずに、素直に従うのだとか。

また、「走り込め!」と声を掛けられたら、その場では一応素直に従うけれど、姿が見えなくなったら歩くタイプだと自己分析しています。

200勝を前にして引退宣言。その理由も驚き

石井一久さんは、200勝を目前にして、182勝の生涯成績をもって引退宣言します。

当然のように、メディアからは「もったいない」という声が多く出ます。

しかし、それに対して石井一久さんは「200勝にこだわる理由が分からない」と切り返します。

さらに、引退理由を聞かれると「まだ勝てると思うし、勝ちたい気持ちもあるが、時期的にそろそろ引退する頃だと思った」と回答。

現役生活22年を振り返った時、自分のデビューした年が菊池雄星投手が生まれた年だと知って、なおのこと「やめ時」だと思ったのだそうです。

本当に自然体で生きてますよね。

引退後は、現役時代の芸能活動の際に世話になった吉本興業に、今度は一般の契約社員として入社することを表明。

給与も一般の高卒採用の基準に準じるとのことで、本当に「普通のサラリーマン」として就職しました(ただし、プロ野球解説者としての仕事は給与とは別に支払われるようです)。

引退会見では「世話になった人たちに恩返しをしていきたい」と言っていましたので、その一環なのでしょうかね。

現役時代について聞かれても、「向上心のある素晴らしい仲間に恵まれて、とても楽しかった」と、練習や成績などのことよりも、仲間と過ごした記憶を振り返るくらいですから、お金や地位や成績よりも、人との絆を大切に考える人なのだと分かります。

石井一久さんは、野球選手という枠に収まらない人だと思いますので、今後のますますの活躍がとても楽しみな人だと思います。

以上、石井一久さんについてでした。

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