高校三年生など数々のヒット曲で知られる舟木一夫さんの今現在は?

嫁・紀子さんや息子・上田純さんなど家族のこと、また舟木一夫さんの経歴などwikiプロフィールについて興味があったので調べてみました。

舟木一夫さんのプロフィール

名前:舟木一夫(ふなき かずお)
本名:上田成幸
出身地:愛知県一宮市
生年月日:1944年12月12日
年齢:72歳(執筆時)
身長:172cm
血液型:O型
学歴:自由ヶ丘学園高等学校卒業
現職:歌手
レーベル:日本コロムビア
所属事務所:アイエス

舟木一夫さんは1944年愛知県一宮市生まれ。

デビューのきっかけは1961年、高校2年生のとき。

名古屋で行われた「松島アキラショー」で、ステージ上の松島アキラさんから「誰か一緒に『湖愁』を歌わないか」と声を掛けられたのに対して手を挙げたのが始まりでした。

しかし実は、これは自分の意思ではなく、隣にいた同級生に腕を掴まれて手を挙げさせられたのでした。

そして舟木一夫さんがステージ上で『湖愁』を歌ったところ、たまたま取材に来ていた週刊誌の記者の目に留まります。

記者は舟木一夫さんの連絡先を手に入れ、当時ホリプロ会長だった堀威夫さんにステージのことを話します。

興味を持った堀威夫さんは舟木一夫さんにデモテープを送るように依頼し、その歌を聞いて舟木一夫さんを上京させます。

上京した舟木一夫さんは、転校先の自由ヶ丘学園高等学校に通いながらレッスンを受け、1963年6月5日に『高校三年生』でデビュー。

同曲は1年目でいきなり100万枚の大ヒットとなり、舟木一夫さんは日本レコード大賞新人賞を受賞。

また、舟木一夫主演の同名映画も大ヒットし、一躍大スターとなり、橋幸夫さん、西郷輝彦さんとともに「御三家」と並び称せられます。

以後、「右衛門七討ち入り」「高原のお嬢さん」「絶唱」「夕笛」「初恋」など数々のヒットを飛ばし、紅白歌合戦にも1963年から1971年まで9年連続で出場する快挙を成し遂げます。

しかし、1970年代に入ると、流行の変化などにより映画やドラマ、本業の歌の仕事が激減。

1970年、71年、72年と、3度にわたる自殺未遂を試みるほど精神的に追い詰められます。

また、ちょうどその頃、可愛がっていた年の離れた弟が亡くなるという不幸も重なるなど、以後数十年にわたる不遇時代が続きます。

しかし、90年代に入り、中高年女性を中心に人気が再燃します。

舟木一夫さんご自身も、単に流行を追うのではなく、同年代の人たちのために歌うことを決意。

92年には「高校三年生」で21年ぶりの紅白歌合戦出場を果たし、1999年には中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!’99」が25年ぶりにオリコン40位にランクイン。

現在も、歌手としてテレビやコンサートで活躍する他、舞台俳優として、また92年に『怪傑!!高校三年生』、99年に『風来坊』などのエッセイを出版するなど、幅広く活躍しています。

舟木一夫さんの結婚、妻

舟木一夫さんは1974年4月29日に紀子さんという女性と結婚しています。

舟木一夫さんが不遇のどん底にあった時代に結婚したのですね。そして、その後も紀子さんは不遇時代が長く続いた舟木一夫さんを辛抱強く支えて続けてきたといいます。

紀子さんについてはほとんど情報がありませんが、宮城学院女子大学の音楽科を卒業している才媛で、ブラッド・ピットの大ファンなのだそうです。

舟木一夫さんの息子

舟木一夫さんと紀子さんの間には、上田純さんという一人息子がいます。

純さんは1980年生まれで、慶応大学を卒業後、職種は不明ですが一流企業にお勤めとのことです。

純さんの写真ですが、大きくなってからのものはさすがに出回っていないようですが、赤ん坊の頃のものがあります。

舟木一夫さんは、純さんに「男同士の口約束は絶対に守れ」と教育してきたのだそうです。

純さんが小学校4年生のときに、欲しいものを聞いたところ、「自分の部屋がほしい」と答えたので、「あと2年待てるか」と答え、実際に2年後、中学受験を控えた純さんに部屋をプレゼントして「男の約束」を果たしたということがあったのだとか。

口先だけでなく、行動で示す姿は、純さんの印象に強く残ったのではないでしょうか。きっと純さんも、舟木一夫さんの言葉を守り、誠実で義理堅い人に育ったことでしょうね。

以上、舟木一夫さんについてでした!