舘ひろしさんは今現在もですが、クールス時代の昔の若い頃もかっこいいと評判です。

禁煙や身長、バイクのことなどが話題の舘ひろしさんについて、結婚や妻・幸子さんのこと、子供など家族、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

舘ひろしさんのプロフィール

名前:舘ひろし(たち ひろし)
本名:舘廣(たち ひろし)
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1950年3月31日
年齢:67歳(執筆時)
身長:181cm(後述)
体重:68kg
血液型:A型
学歴:愛知県立千種高等学校卒業、千葉工業大学建築科中退
現職:A型
職業:俳優、シンガーソングライター
所属事務所:石原プロモーション

舘ひろしさんは1950年愛知県名古屋市生まれ。

実家は尾張藩の士族の末裔で、徳川家から譲り受けた武家屋敷に代々住んでいたそうです。

また、実家の家業は開業医で、「舘医院」を経営。そのため、子供の頃の舘ひろしさんは、自分は当然将来は医者になるものと思っていたようです。

小学生の頃より優等生だった舘ひろしさんは、県内有数の進学校(高校)に入学しますが、ラグビーと恋愛に没頭してしまい、医学部の受験に失敗。

浪人したものの再び失敗し、医師になることを諦めます。なお、実家の医院は現在、舘ひろしさんの実弟が継いでいます。

大学は千葉工業大学建築科に進学しますが、後に中退しています。

そんな舘ひろしさんの転機となったのは、1974年、岩城滉一さんとの出会いでした。

飲食店で食事をしていた岩城滉一さんに歩み寄り、「あのバイク、君の?」と話しかけたことから意気投合。

当時、舘ひろしさんはバイクの免許を持っていませんでしたが、岩城滉一さんに勧められて教習所に通い、免許を取得。

東京・原宿で、舘ひろしさんをリーダー、岩城滉一さんをサブリーダーとするバイクチーム「クールス」を結成します。

1975年に矢沢永吉さんのバンド「キャロル」の解散コンサートでクールスが「親衛隊」を務めた縁で、クールスはロックバンドとしてデビューします。

デビュー作は矢沢永吉さん作曲のシングル『紫のハイウェイ』で、舘ひろしさんはボーカルを務めていました。

しかし、1976年に東映に所属し、松田優作さん主演の映画『暴力教室』に出演するなど、俳優としてのキャリアをスタート。

77年にはクールスを脱退します。

ドラマ『西部警察』出演がきっかけで知り合った渡哲也さんに憧れて、1983年に石原プロモーションに入社。

以後、『西部警察』に最終話まで出演するほか、『あぶない刑事』シリーズをはじめ、数多くのドラマ、映画に出演。

当初は刑事ものが主体でしたが、後年は時代劇やコミカルな現代劇にも多く出演し、幅広い役柄を演じるようになります。

俳優活動以外では、1995年から97年にかけて、全日本F3000とフォーミュラ・ニッポンに参戦していた「NAVI CONNECTION Racing Team」の監督を務めていました。

また、2012年には石原裕次郎さんの『嵐を呼ぶ男』のカバーで紅白歌合戦に出場。

さらに2015年には、アルバム『ANTHOLOGY ~40th ANNIVERSARY BEST ALBUM~』をリリースするなど、クールス時代に始まった音楽活動は現在も継続しています。

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