映画『吉原炎上』などで知られる”2時間ドラマの女王”名取裕子さん。現在も年齢によらず、若々しくて綺麗な人ですよね。

その名取裕子さんの今現在、昔の若い頃にトラブルが?

本名や兄弟、結婚や夫など家族、経歴wikiプロフィールとともに調べてみました。

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名取裕子さんのプロフィール

名前:名取裕子(なとり ゆうこ)
本名:同じ
出身地:神奈川県横須賀市
生年月日:1957年8月18日
年齢:60歳(執筆時)
身長:165cm
血液型:AB型
学歴:青山学院大学文学部日本文学科卒業
現職:女優
所属事務所:茂田オフィス

名取裕子さんは1957年神奈川県横須賀市生まれ。13人の大家族に生まれ、2歳年上の兄がいます。

神奈川県立厚木高等学校を卒業後、青山学院大学文学部日本文学科に進学。

コピーライターになりたい夢があり、サークルは広告研究会に入ります。

転機は大学1年生のときに開催された『カネボウ・サラダガールコンテスト』に応募したことから。

サークルで知り合った広告マンに頼まれて、人数合わせのつもりで応募したところ、見事準優勝を果たします。なお、このときの優勝者は古手川祐子さんでした。

1976年の『愛と憎しみの宴』でドラマデビューを果たし、翌77年の『おゆき』で初主演。

その後、『3年B組金八先生』に出演し、人気を博します。

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名取裕子さんが昔、若い頃にトラブルに

そんな順風満帆に見えた名取裕子さんでしたが、大学を卒業後すぐの頃に、大きな試練に見舞われた時期がありました。

名取裕子さんは、CMの演出を巡るトラブルで事務所と対立し、引退に近い状態にまで追い込まれていたことがあったのだそうです。

その危機を救ったのが、当時NHKディレクターだった和田勉さんでした。

和田勉さんは渦中の名取裕子さんに、自身が演出するドラマへの主演を打診。

当時事務所を辞めており、どこにも所属していなかったという名取裕子さんは、自宅の電話で直接和田勉さんと話をして出演を引き受けます。

それが、1982年のNHKドラマ『松本清張シリーズ・けものみち』でした。

演出を担当する和田勉さんは、毎日のようにつきっきりで、名取裕子さんのメイクや演技を事細かに熱血指導します。

また、西村晃さんはじめ共演者や原作者の松本清張さんから親身に接してもらい、以後和田勉さんや松本清張さんらとは生涯に渡る親交を築き上げます。

この作品を契機に、名取裕子さんは女優としてやっていく決意を新たにし、以後目覚ましい活躍を続けます。

84年の映画『序の舞』や88年の『吉原炎上』では、ヌードを厭わない体当たりの演技が話題になりました。

以後も時代劇やサスペンスをはじめとするドラマや映画、舞台に数多く出演。

「2時間ドラマの女王」、また松本清張作品の常連として「清張女優」の異名を取るなど、唯一無二の存在感を持つ大女優として、精力的に活躍を続けています。

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