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市田ひろみさんの転身~現在

市田ひろみさんは大映ニューフェイスとして映画の世界で華々しい活躍を始めますが、数年経った頃に映画女優を引退することを決意します。

市田ひろみさんの母親は当時、美容室を経営しており、モデルや女優のヘアメイクや着付けを担当する、現在のスタイリストに当たる仕事をしていました。

その母親について美容師としての修行を積み、1961年に美容師として転職します。

1968年に、京都・西陣の織物屋から民族衣装を取り入れたデザインを依頼され、世界11カ国を回ったことがきっかけで、世界中の民族衣装の収集をするようになります。

現在は服飾研究家、民族衣装研究家として活躍し、エッセイストとしても数多くの著作を出版するほか、講演多数。

90年代以降は、お茶のCMやドラマなどに多数出演し、女優、タレントとしても活躍。

特にお茶のCMでは、その京都弁の軽妙で柔らかい語り口から「お茶のおばさん」として親しまれました。

2001年には着付け部門で「現代の名工」に選出されています。

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他に、日本の古来からの民族衣装である十二単の着付けを中心に、日本文化を世界に発信する活動を精力的に続けています。

2008年の洞爺湖サミットでは、各国首脳に十二単の着付けを披露し、同時に披露した書をブッシュ元アメリカ大統領夫人のローラさんが絶賛。

後にその書を書き直してホワイトハウスに郵送したところ、ローラ夫人から返事が届いた、という驚きのエピソードもあったのだとか。

なお、市田ひろみさんを検索すると「病気」という関連ワードが出てくるのですが、特にそのような事実はないみたいですね。

年齢的なこともあり、心配する人が多いのでしょうかね?それとも、著名な他の方とごっちゃになっているのかもしれません。

市田ひろみさんは80代半ばを過ぎた現在も、精力的に多彩な活動を続けており、至って健康のようです。

また、市田ひろみさんは短大を卒業後、当時としては珍しく社会に出て活躍し、現在も超多忙な日々を過ごされています。

ご結婚はなさっていないようですが、若いときからの生き方を一貫させているということなのでしょうね。

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