岸部一徳さんと言えば目元や目の下など独特の風貌で知られる存在感のある俳優さんですが、ベースだった若い頃、そして今現在は?

妻や息子、事務所などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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岸部一徳さんのプロフィール

名前:岸部一徳(きしべ いっとく)
本名:岸部修三(きしべ しゅうぞう)
出身地:京都府京都市
生年月日:1947年1月9日
年齢:70歳(執筆時)
身長:181cm
血液型:A型
学歴:京都市立伏見工業高等学校建築科卒業
現職:俳優、ミュージシャン

岸部一徳さんは1947年京都府京都市生まれ。俳優の岸部四郎(岸部シロー)さんは実弟になります。

中学時代の同級生である瞳みのるさんに加え、高校進学後は森本太郎さん、加橋かつみさんと仲良くなり、1965年に4人でバンド「サリーとプレイボーイズ」を結成。

岸部一徳さんは同バンドでベーシストを務めます。

サリーというのは、岸部一徳さんの当時のあだ名でした。

ロックンロールのスタンダード・ナンバーである「ロング・トール・サリー」(のっぽのサリー)が由来で、岸部一徳さんが長身だったことによります。

1966年に同バンドはジュリーこと沢田研二さんを加え、上京後、「ザ・タイガース」となります。

1971年にザ・タイガースが解散した後も、PYG、井上堯之バンド時代を通じてベーシストとして活躍。

ベーシストとしての人気、実力ともに高く、各音楽雑誌で人気ベーシスト投票のトップ3の常連でした。

あの日本を代表するベーシストの一人、後藤次利さんにベースの手ほどきをしたことでも知られています。

また、その腕前については、レッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズさんのこんな言葉が伝わっています。

初めて日本に行ったとき、「PYG」という日本のバンドをテレビで見た。そして、俺達の「Babe I Gonna Leave You」をやっていたんだ。

ベースの奴はとんでもないスゴ腕でね。俺よりもいいんじゃないかと思ったぐらいだ。会いたかったんだが、結局会えずじまいだった。

後にテツ(山内テツ)に会った時に「あれはお前か」と聞いたんだが、テツではなかったらしいよ。

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そんな名ベーシストの岸部一徳さんでしたが、1975年に久世光彦プロデューサーの勧めでTBSドラマ『悪魔のようなあいつ』に出演したことを契機に、本格的に俳優業に転向することになりました。

その後も数々のドラマ、映画に出演。

1990年には映画『死の棘』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したり、カンヌ映画祭でも受賞するなど、主演俳優として名を挙げる一方、名バイプレーヤーとしても活躍。

現在も俳優活動と並行して音楽活動を継続しており、ザ・タイガースの再結成に参加したり、新しいユニットを結成したり、ドラマやCMなどでその衰えない腕前を披露しています。

岸部一徳さんの事務所

岸部一徳さんの所属事務所は「アン・ヌフ」で、自ら代表をなさっています。

2016年12月に井上真央さんが前事務所「セブンス・アヴェニュー」から「アン・ヌフ」への移籍を発表したことが話題になりました。

現在は、岸部一徳さん、岸部四郎さん、塩見三省さん、井上真央さんの4人が所属しています。

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