美川憲一さんと言えば、性別を超えた存在感で知られ、コロッケさんのものまねで有名ですが、逮捕や若い頃の騒動に関心が持たれているようです。

その美川憲一さんについて、年齢は何歳か、本名、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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美川憲一さんのプロフィール

名前:美川憲一(みかわ けんいち)
本名:百瀬由一(ももせ よしかず)
出身地:長野県諏訪市
生年月日:1946年5月15日
年齢:71歳(執筆時)
血液型:A型
現職:歌手、俳優、タレント
所属事務所:株式会社オフィス・ミカワ

美川憲一さんは1946年長野県諏訪市生まれ。

複雑な生い立ちで、母親が妻子ある男性との間に出産した子供として生まれています。

その後、生みの母親が肺結核を患ったため、2歳の時に母親の姉夫婦に引き取られることになります。

家は貧しく、「2人の母」を食べさせるために高校を1年で中退し、東宝芸能学校に入学。1964年に第17期「大映ニューフェイス」に合格します。

こちらが若い頃の美川憲一さんです。

デビュー当初は青春歌謡路線で、美少年キャラクターとして売り出されました。

古賀政男さんの指導を受け、1965年に『だけどだけどだけど』で歌手デビューを果たします。

1966年、『柳ケ瀬ブルース』が120万枚の大ヒット。同名の映画も制作され、美川憲一さんにとって映画初出演の作品となりました。

1968年の『釧路の夜』も45万枚のヒットとなり、同じように映画化され、美川憲一さんも出演します。

また、同年末に同曲で紅白歌合戦に初出場を果たし、以後74年まで7年連続で出場。

1970年には『みれん町』『大阪の夜』『おんなの朝』と立て続けにヒットを出し、1972年にはコロッケさんのものまねで有名な『さそり座の女』をリリース。9.7万枚のヒットとなります。

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美川憲一さんの逮捕歴。理由は薬?

美川憲一さんは、1977年10月、31歳のときに大麻取締法違反で逮捕されています。

起訴猶予となりましたが、同年にリリースされた『駅』は有線リクエストで上位にランキングされるなど、前評判の高さにも関わらず、ヒットにはなりませんでした。

なお、この1977年という年は、他に井上陽水さんや内田裕也さん、研ナオコ、内藤やす子さん、にしきのあきらさんなど、多くの著名人が芋づる式に同法違反で検挙され、大きな騒動となった年でした。

さらに、1984年に同じ大麻取締法違反で2回目の逮捕となり、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けています。

これにより、テレビの出演回数が激減し、地方での営業が続くこととなりましたが、80年代末ごろにコロッケさんのものまねにより人気が復活。

1991年には17年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場するなど、歌手としてはもちろんのこと、CM出演やワイドショー、バラエティ番組にも「オネエ・セレブキャラ」として引っ張りだことなり、再ブレイクを果たし、現在に至ります。

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